経済学部ゼミブログ

2021.10.12

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経済学部ブログ詳細「全学科共通」

学科・専攻・活動で「全学科共通」を選択しました

 ある中年の商人は、夜、東海道線の踏切を通って、無残な女の轢死体れきしたいを見たが、まだ弥次馬やじうまが集まって来ない、たった一人の時、妙な洋服男が死体の側をウロウロしているのを見たという。その男もやっぱりソフト帽をまぶかにして、外套の襟を立てて、顔を隠す様にしていたが、商人はおぼろな月光でその顔が金色こんじきに光るのを確かに見た。
 いやそればかりではない。無表情な黄金仮面の口から顎にかけて、一筋ひとすじタラリと真赤まっかな液体が流れ、その口が商人に向って、ニヤリと笑いかけたというのだ。
 又、一人の老婆は、ある真夜中、自宅の便所の窓から、外の往来をスーッと通り過ぎた金色燦爛きんしょくさんらんたる一怪人を見た。それは前の二つの例とは違い、顔ばかりではなく、全身まばゆいばかりの金色で、仮面のほかに何か透通すきとおる様な薄い黄金製の衣裳を着ていたらしいということであった。
 ほとんど信じ難い奇怪事である。しかしたら、耄碌もうろくした老人の幻覚であったかも知れぬ。だが本人は確かに阿弥陀あみだ様の様なとうとい金色の人を見たといっている。
 その外数限りもない風説を、一つ一つ並べ立てるのは無駄なことだ。かく、一時はこの時代錯誤な幽霊話が、東京市民からあらゆる話題を奪ってしまった。幽霊話とは云いじょう、少くとも十数人の精神健全な人々が、日を違え場所を変えて、確かにその黄金仮面の人物に出会っている。このお伽噺とぎばなしには、打消すことの出来ない実在性があるのだ。
 何かしら恐ろしい天変地異の前兆ではないかと云う者もあった。いや、石が降ったり、古池で赤坊の泣声がしたりする妖怪談と同じで、洗って見ればたわいもない悪戯いたずらに過ぎないのだという者もあった。